ふと、障がいのない世界線の自分に思うこと

私は発達性吃音という障がいを持っています。青年・成人期になるにつれて無くなることが多いといわれているものですが、成人した今でも変わらず症状が頻発しています。
吃音は、他者から目に見えてわかるような障がいでもないため、バカにされたり、授業の音読で足を引っ張ったりと悩むことも多々ありました。
最近の私は、声を発する前に発しようとしている言葉が吃りそうかどうかあらかじめ分かり、事前に言い換えるようになりました。そうすると、自然と考えながら会話する癖がついていることに気がつきました。
吃音の症状が今ほど頻発していなかった幼少期の私は、自分ばかり話してしまい、周りが見えていないことをよく指摘されていたことを覚えています。
自己中心的な話し方の改善に吃音が一役買ってくれたと思えたため、今では吃音も悪いだけのものじゃないな、と思えています。
これを読んでいる人に伝えたいこととして、ポジティブに生きろなんて言いません。
それと同時に、改善したい要素は自分の良い要素が隠れる理由にはならないとも思います。
改善したい要素よりも、良い要素のことを思ってあげられる時間を大事にしながら今を生きるのも悪くないのではないでしょうか。
投稿者:ふらわさん
投稿日:2025/06/08(日)22:35